awakening (リョ菜々)



もう秋も終わりだというのに、汗だくになってリョーマは自宅に戻ってきた。

桃城に付き合って学校帰りにストリートコートに行き、二人で打ち合っていたら

いつの間にかお互いにむきになり、必死でボールを追ってしまっていた。

軽く体を動かすだけのつもりだったから、ジャージに着替えることもせず

制服のままでやっていたおかげで、中に着ているシャツが汗で肌にはりついてどうしようもなく気持ちが悪い。

ダイニングの横を通った時に目にした食卓にはすでに夕食の準備が整えられていたが

先にこの汗を流してからにしようと思ったリョーマはまっすぐ風呂場へ向かう。

じっとりとした不快感が、この時のリョーマを焦らせていた。

いつもなら気が付くはずなのに、早くシャワーを浴びたいと思う気持ちのために

風呂場の扉の前にきちんと揃えられていたピンクのスリッパを見逃してリョーマは風呂場の扉のノブに手を掛けた。

学生服のボタンを片手で外しながら勢いよく扉を開けると、

うっすらと湯気の立ちこめる脱衣所には予想しなかった人影があった。






体にタオルを巻いただけの姿で立っていたのは、この家に住む従姉妹の菜々子。

扉の音に振り向いた菜々子と、リョーマの目が合った。


「リョーマさん!?」


「な、菜々子さん」


長い髪をまとめて結い上げている菜々子はシャワーを浴びたばかりなのか、

いくらか顔を上気させ、細い首筋にはまだ水滴が残っている。

タオルで覆われた上からでも、胸の膨らみや腰のくびれははっきりと見て取れた。

無意識のうちにごくんと喉が鳴る。

思いがけず目にした刺激的な光景に、謝ることも顔を背けることも忘れ

驚きにぽかんと口を開けたまま、リョーマは硬直してしまっていた。

菜々子の方も一瞬たじろいで目を逸らしたが、すぐに柔らかい笑みと共に顔を向ける。


「あ……私ったら、鍵をかけるの忘れてたのね。ごめんなさいリョーマさん」


背を向けリョーマの目に自分の姿がなるべく触れないようにしながら、

リョーマを責めず自分の非を詫びる菜々子に、リョーマは何故か苛立ちを覚えた。






「リョーマさんもシャワー使うんでしょう? 少し待っててくださいね」


菜々子の声を聞きながら、リョーマはふと考える。

もし、今ここにいるのがリョーマではなく、リョーマの父の南次郎だったら、

おそらく菜々子はこんな態度を取れなかったはずだ。

恥ずかしさにもっと動揺して、すぐに出ていってくれと大きな声をあげただろう。

なのに自分には、ほとんど裸に近い格好を見られたというのに

全く平気とは言えないまでも、余裕のある対応をしてみせる。

それは、菜々子にとってリョーマは裸を見られて恥じらう対象ではない、

つまり、リョーマを男だと思っていないということではないのか。

そこまで考えて、リョーマの頭にはかっと血が上った。

俯いた姿勢で後ろ手にゆっくりと風呂場の扉を閉め、そのまま鍵をかけた。

カチャリという金属音に、菜々子が顔をあげる気配が伝わる。


「リョーマさん……?」


「……ねえ菜々子さん。俺のこと、子供だと思って馬鹿にしてない?」


つぶやいて、脱ぎかけていた学生服の袖から腕を抜き、床の上に投げ捨てた。






菜々子とは年の差があるとはいえ、自分だって若い男なのだ。

例え従姉妹でも、一つ屋根の下に年若い女性がいて、平気でいられるわけがない。

菜々子はあまり過激な服装をすることはなかったが、それでも夏に薄着になった時には

その露出した肌のまぶしさに、どこを見ていいのかわからなくなってよく困った。

顔を寄せて微笑みかけられて、妙な胸のざわつきを感じたことも数え切れない。

異性に対する興味とか、単なる性欲とかいう言葉で片づけられることなのかもしれない。

それでもリョーマは、この年上の従姉妹とならどうにかなってもかまわない、

いやどうにかしたいと考えたことがことが何度もあった。

そして、今もそう思った。


「俺だって、男なんだけど」


顔を伏せたまま、リョーマは大きく一歩踏み出した。

リョーマの視界に、むき出しの菜々子の下肢が映る。

体の奥が疼いた。

自分の中で眠っていた何かが目を覚ましたような気がした。






口から勝手に言葉が飛び出していく。


「ずっと、菜々子さんのこと見てた。俺、菜々子さんが、す」


思い切って視線を上げるとすぐ目の前に菜々子の顔があり、リョーマの言葉が止まった。

驚いて目を見張ったリョーマに向かって菜々子は微笑み、ゆっくりと顔を近づけてくる。


「子供だなんて、思ってませんよ」


言い聞かせるような声に続けて、リョーマの唇に何か柔らかく温かい感触が触れた。

それがキスだと認識するまで数秒かかった。


「な……」


塞がれた唇が解放された後、思わず小さな呻きを漏らしたリョーマの耳に菜々子の囁きが届く。


「でも、その続きは、リョーマさんがもう少し大きくなってから聞かせてくださいね」


何が起こったのか瞬時には理解できずただ呆然としているリョーマの体を、

菜々子の手が優しく風呂場の外へと押し出す。

目の前でそっと閉じられた扉の向こうで軽い衣擦れの音がし、

やがて衣服を身につけた菜々子がまた姿を現した。






「お待たせしましたリョーマさん」


いつもと変わらない様子で笑顔を見せ、床に落ちていたリョーマの制服を拾い上げる。


「これ、掛けておきますから。あ、もう夕食ですから、早く来て下さいね」


そう言い残すと菜々子は台所の方へと向かって行った。

まるで何事もなかったかのように軽い足取りで。

後に残されたリョーマは、その背中を見送りながら憮然とした表情でつぶやく。


「……やっぱ、子供扱いしてんじゃん」


風呂場に足を踏み入れ、扉を乱暴に閉めてから吐き捨てた。


「くそ。なんか、悔しい」


こみ上げる腹立たしさは、子供扱いされたせいなのか、

どれだけ急いでも今すぐには大人になれない歯がゆさに対してなのか。

自分でも説明出来ない憤りを振り払おうとするかのように、

リョーマはまだ湿ったままのシャツを手早く脱ぐと、洗濯機の中に放り込んだ。






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