千桜
二人してしばらくの間、言葉も交わさずぐったりとしていた。
桜乃ちゃんは俺の腕の中で、ゆっくりと呼吸を整えている。
俺が絡めた指を振りほどくこともなく、おでこにキスをしても拒むこともなく、
ただただ顔を赤らめて、照れくさそうに微笑んでくれた。
マジでドキっとした。
もしこの子に泣き出されたり、口汚く罵られたら、俺、もう生きていけないかも。
身支度を整える時、枕元に置かれたままのハンカチに気づき、手に取った。
俺の顔を冷やすために使ってくれた、桜乃ちゃんのハンカチだ。
「ああ、ごめん、コレ。洗って返す・・・つーか、新しいの買ってくるから」
「えっ?いいですよ、そんな。別に汚れたわけじゃないし。気にしないでください」
桜乃ちゃんは俺の手からハンカチを取ろうとしたが、俺は腕を上げてそれを回避した。
「ダメダメ。気にします。桜乃ちゃん、何色が好き?やっぱり桜色かなぁ。よく似合うし」
「あっ、そうですか?おばあちゃんも、よくピンクの服とか買ってくれるんですよ」
嬉しそうに笑う彼女を見て、俺も満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ決まりね。今度連絡するからさ、電話番号教えてくれる?」
「あの、本当に気にしなくていいですからね。都大会もまだ後半戦ですし・・・」
ためらいつつも、桜乃ちゃんは連絡先を教えてくれた。
いやぁ、俺ってホントにラッキーだよねぇ。
俺はその後、荷物を取りに行った桜乃ちゃんを校門の外で待っていて、駅まで送っていった。
ホントはご飯でも一緒にどう?って誘ったんだけど、
もうおうちの人が夕飯を用意している時間だから、と辞退されてしまった。
「じゃあ、また今度誘っていい?」
あんまり俺が情けない顔をしていたのか、桜乃ちゃんはクスクス笑いながら
「はい、お願いします。それじゃ、さようなら」
そう言って、俺に手を振りつつ改札口の向こうに消えていった。
・・・俺って、やっぱり微妙にラッキーじゃないのかな。
ああ、この切なさは、なに?
桜乃ちゃんとはその後、都大会で再会した。ほら、青学と試合した時。
試合前トイレに行った時、ばったり出くわしたんだ。
「ややっ、桜乃ちゃん発見!」
「あ、千石さん」
彼女は俺の顔を見るなり、優しい笑顔でチョコンと会釈をしてくれた。
「元気?青学の応援に来たの?」
「はい。千石さん、コンディションはどうですか?」
「バッチリですよん」
「ふふ、良かったですね・・・・えっと・・・」
桜乃ちゃんは何かを言おうとして、一瞬ためらうような困った表情をした。
うんうん、敵に「次の試合、頑張ってください」とは言えないよなぁ。
いやまぁ、特に気にせず普通に言える言葉なんだけど、
律儀な桜乃ちゃんは、こんな些細なことでも悩んでしまうくらい、真面目な女の子なのだ。
すごく可愛い。
俺は「気にしないで」と、彼女の肩をポンポンと叩いて言ってやった。
「でも、もし山吹が勝っても恨んじゃヤーよ?」
「そっ、そんなことしません!」
「ははは、んじゃ万が一、俺が負けたら桜乃ちゃん、慰めてくれる?」
「え?」
キョトンとする桜乃ちゃんの顔を覗く込むように接近して、俺は囁いた。
「デートして。そして傷心の俺を慰めて・・・身体で」
「なっ・・・・からっ・・・・もう!千石さんったら、またそんな・・・!!」
「はい、ごめんなさい。もう言いませーん。だから怒っちゃイヤーン!」
俺は桜乃ちゃんから離れると、おどけながら逃げるように走り出す。
「じゃあね〜」
と手を振りながら、自軍のコートの方へ向かった。
「千石さん!」
そんな俺の背中に、桜乃ちゃんの声がかぶさった。
「勝っても負けても、わたし、オッケーですから!」
思わずピタっと立ち止まって、俺の首は急旋回する。
「なにが!?身体が!?」
「ちっ、違います!デートがです!デート!!」
「マジで?」
顔を赤らめつつも、こっくり頷いてくれた桜乃ちゃんを見て、俺は有頂天になった。
「ラッキー♪」
・・・でさぁ、結局試合の方はって言うと、皆の知ってるとおりなんだよね・・・・。
いや、ホントごめんなさい。精進が足りませんでした。
あれ以来、周りが揃って「お前の強運も打ち止めか?」って突っ込んでくるんだけど。
いやいや、俺ってば、いまだにラッキーですよ。
確かに試合は負けた。
でも後日桜乃ちゃんは、ちゃーんと俺との約束を守ってくれたんだ。
デートですよ、デート。
映画を見た。
ゲーセンで遊んだ。
プリクラも撮った。
ご飯も一緒に食べた。
そして俺は、桜乃ちゃんに新しいハンカチをプレゼントした。
ピンク色の花柄のと、鮮やかなオレンジ色のを一枚ずつ。
嬉しそうに貰ってくれた桜乃ちゃんがたまらなく可愛くて。
俺は思わずその可愛らしい唇を貰っちゃった。
ん、そっから先の話は、また今度ね。
END
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