海堂×巴



「うわあ、綺麗……! 今年は、桜が長く咲いてますね」


巴が満開の桜を見上げて、声を漏らす。


「……ああ」


そう答えはしたものの、海堂の目に映るのは、桜ではなく好きな女の姿だけ。






うららかな春の日差しの中、町外れの小さな公園に咲き誇る何本かの桜。

その下に二人はいた。


「…しかし、良く見つけてきたな、こんな場所」


「海堂部長、人が多いところあんまり好きじゃないでしょう? だから、一生懸命調べたんですよ。

 菜々子さんに教えてもらったりもしたし」


「……お前は、賑やかな方が良かったんじゃねぇのか?」


「賑やかなのは那美ちゃんたちと行ったお花見で、もう充分タンノーしました」


巴の笑顔が苦笑に変わる。

先週の週末、巴は桜乃や朋香、それに那美といったメンバーでお花見に行ったのだが、

朋香がリョーマも呼ぼうと騒ぐわ、桜乃は酔客に絡まれるわ、

那美は那美で缶チューハイをジュースと間違えて一気飲みした挙句に酔っ払って服を脱ぎ始めるわで

それはもう大変な騒ぎだったのだ。

それに…好きな人とのお花見なんだから静かなところで一緒にいたい。

――そう思って場所を選んだのだが、どうやら正解だったようだ―-。

巴は胸の中で微笑んだ。

海堂の表情がいつもより穏やかだ。

彼がここを気に入ってくれた証拠だ。


「おい、そろそろメシにしねぇか?」。


「そうですねー、お昼にしましょうか。今日は頑張ったんですよ!」


海堂が一番大きな桜の木の根元近くにシートを敷き、巴が持参した花見弁当を広げる。


「……すげぇな。これ全部お前が作ったのか?」


なんとも見事に整えられた花見の重。

料理が上手いという事はもちろん知っていたが、これほどまでとは。

海堂は舌を巻いた。


「えへへへへへ。5時に起きて頑張っちゃいました。上手にできてるといいんですけど」


海堂のストレートな賞賛の言葉に、巴の顔が熱くなる。

自分の料理はこれまでにも2度ほど海堂に食べてもらい、

そのつど誉めてもらっているので味に関しては心配ないはずなのだが、

何しろ『両想い』になって初めての『休日練習』ではない、『デート』だ。

気合も入ろうというものだ。






「…うん、うめぇ」


「ホントですか? ……よかった」


ほっと胸を撫で下ろすしぐさをして、巴が悪戯っぽく笑う。

その笑顔を見るだけで、心が、温かく柔らかい何かで満たされていくようだ。

……しかしその胸中に、熱く、どろどろとした塊

――巴を、自分だけのものにしたい――という熱い欲望が隠れていることを海堂は自覚していた。

大切にしたい、とは思う。

共に汗を流し、目標に向かって走っていきたいとも思う。

この感情は決してウソではない。

しかし、抱き締めて、口付けて……融け合ってしまいたいと思う願望も、また本当のもので。

――しかも、彼は今、それを可能にする道具を手にしているのだ。

媚薬。

先日、乾から渡されたもの。

さらに、快感を増幅する効果まであるという……。


「……はじめての時ってさ、女性はヨクないことが多いらしい。

 何しろ、肉体の一部を破損するわけだからね。……痛いんだそうだ。


そういう場合でも、このクスリを飲ませておけば大丈夫。

全身の感覚が鋭敏になるから愛撫の効果が倍増する。

本来の薬効である『精神的な歯止め』を麻痺させる効果との相乗効果で、より素直に、与えるままに感じてくれるよ。

…それにもうひとつ、最初に強烈な快感を与えておいて、

この感覚はお前しか与えることができないということを骨の髄まで擦り込んでおけば、

トモエはお前から離れられなくなるはずだ。

…どうする?」


――彼女が、自分から決して離れていかなくなる――もし、本当にそうなってくれるのなら。


「……本当に、今が一番綺麗な時ですね……」


満開の、今が盛りと咲き誇る桜の花を見上げて、巴がうれしそうに言う。


「ああ……。後は散るだけだな……」


『後は散るだけ』自分で言っておきながら、その言葉が海堂の胸の奥に影を落とした。

自分と巴の関係を暗示しているかのようだ――今が一番親しくて、後は離れていくだけ――

飾らない性格の巴には、男女問わず多くの友人がいる。

テニスにしろ、私的な部分にしろ、自分よりも彼女にふさわしい相手がこの先出て来ないとは限らない。






そうなったら、潔く身を引きたいとは思う。

彼女に、無様な姿だけは見せたくない。

……しかし、理性はそう覚悟を決めていても、感情はまるで正反対で。

もし、そんな人間が現れたら、そいつを殺してしまうかもしれない。

さもなくば、巴を何所か自分しか知らないところに閉じ込めて……壊してしまうかもしれない、とすら思う。



たった一人の、大切な大切な女だから。



「部長?」


彼女の声が思考を遮る。


「お口に合いませんでした?」


心配そうに覗き込んでくる。


「……なんでもねぇ。ちょっと…考え事だ。……うめぇよ」


「それなら、いいんですけど」


花弁が一枚、ひらひらと舞い降りてくる。


「……あー、いい天気だし、お腹もいっぱいだし、眠くなってきちゃいました〜……」


「…ケダモノみたいだぞ、お前」


「人間も動物の一種ですからね〜…ちょっと、寝かせてくださ〜い…」


「……ああ」


いっそのこと、二人が本当に獣であったなら。

求めるままに彼女を抱いてしまえるのに。

そんな海堂の気も知らぬげに、傍らにころん、と横たわって巴は眠り始めた。

…無防備な、赤ん坊のような寝顔。

その顔がふわ、と綻んだ

どんな夢を見ているのだろう。

その夢の中には自分はいるのだろうか。

その答えを求めて、眠る巴の顔を凝視する。

誘うように、僅かに開かれた唇を人差し指でなぞる。

丸くなって眠っている彼女の体に覆いかぶさり、艶やかな髪を指で梳く。

髪を掻き分け、うなじに唇をつけ、強く吸う。

彼女の白い肌に、赤い花弁のような痕がつけられる。

――この少女が海堂のものであるという、所有の印が。






「……ん」


与えられた刺激に、巴が身じろぎをする。

しかし、そんなことにも構わず、うなじに口付けを繰り返す。

力が入っていない体を仰向けにし、改めて覆いかぶさる。

…そして、海堂の唇が巴の顔に触れた。

その滑らかな額に。

柔らかい頬に。

花びらが落ちるように触れるだけの口付けを繰り返す。

閉じられているまぶたにも、唇を落とす。

胸の中の熱い感情がそう命じるままに、舌で睫毛を弄う。

まぶたの次は耳。

独特の吐息を耳孔に吹き込む。


「……巴」


愛しいものの名前だけを繰り返し繰り返し囁きながら、耳朶を唇で、舌で蹂躙する。

すでに巴の寝顔は先程までの無垢なものではなく、男の唇による愛撫で色付き始めていて。

その表情は、海堂の熱をさらに煽るのに充分だった。

耳から首筋に唇を這わせる。


「は……ぁ」


巴の目蓋がピクリと動き、緩やかに目が開けられていく。

海堂は、唇で彼女を愛する行為を止め、ただじっと見詰めた。


「ぶ…ちょ…?」


巴の目の焦点が合い、海堂を捉える。

その、自分の顔が映っている瞳を覗き込むようにして、海堂は巴の名を呼んだ。


「…部長?」


伝えたい事はそれこそ山のようにあるのに、こうして面と向かうと何も言えない。

その言葉の代わりになってくれればいい、そう願いながら、海堂は巴の唇に自分のそれを重ねた。

触れるだけの、ただ触れ合うだけの口付け。

しかしそれは余りにも甘く、海堂の全身を貫いた。

一方、巴も夢うつつのままに与えられる官能に酔わされて意識を取り戻した途端、

さらに与えられた唇に胸が張りさけそうで。

抵抗など思いもつかない。

ただ海堂の熱に翻弄されていた。






何度も何度も触れ合っては離れて見詰め合い、また唇を合わせる。

最初は唇が触れるだけだった口付けは、だんだんと啄ばむようなものに変わっていった。

小鳥がお互いの嘴を交わすようなキス。

その触れ合っている時間がだんだん長くなっていく……そして遂に、海堂の舌が巴の唇に触れた。


「!」


その途端、巴の躯に電流が走った。

身を捩って海堂の腕から逃れようとする。

しかし、巴の上に覆いかぶさっている海堂の躯は、巴の躯を決して離すまいと抱きしめていて。

さらに、海堂の躯を押しのけようと試みた巴だったが、不思議なことに体に力が入らない。

そして、


「……逃げんじゃねぇ」


海堂の一言が、巴の抵抗を封じた。

改めて、海堂は巴に口唇を寄せた。

自分の唇で巴のそれを愛撫し……舌で唇を味わう。

巴の口が快感に耐えかねて開かれていく。

その隙を逃さず、海堂は舌を巴の口内に入れた。

舌で歯列をなぞる。

上顎を、頬の内側を舐める。

そして…逃げようとする舌を捉え、自分の舌を絡ませる。

最初は、ただただ自分のキスに翻弄されていただけだった巴の舌が、おずおずと答えるように動き始める。

その幸福感は、もう喩えようもないもので。



巴もまた、目も眩むような陶酔の中にいた。

大好きな、本当に本当に大好きな人。

あまり優しい言葉はかけてくれないけれど。

人前では決してベタベタしてはくれないけれど。

ただその分、二人きりになったときの甘い優しさは、そういう扱いに慣れていない少女には恐いくらいで。

……今までは皮膚の上をなぞるようだったその優しさが、今日は躯の奥まで刷り込まれていくようで……

少し、怖い。

でも、海堂が自分を愛しんでくれる、その喜びは恐怖心を打ち破るのに充分で。

巴の唇も、海堂のそれを積極的に愛し始めていた。






どれほどの時が過ぎたのか……二人は桜の木の下で抱き合ったまま寄り添っていた。


「……すまねぇ」


海堂が目を伏せ、そう呟く。

その言葉を聞き、、巴は微笑んでかぶりを振った。


「何で、謝るんです?……わたしも、ずっとキスしたかったです、部長と」


その言葉に、はっと目を開ける。


「……本当、か?」


「はい」


巴がきっぱりと言い切り、ニコ、と微笑む。

その笑顔が愛しくて、抱き締める腕に力が入る。


「あ」


苦しいのか、と問う前に、腕の中の巴が自分の上の空間を見つめているのに気づく。


「…どうした?」


「部長、上…!」


折から吹き始めた夕風に、桜が一斉に散り始めたのだ。


「…花吹雪、ですね」


「ああ」


桜吹雪の下、離されまいというように固く固く抱きしめる。


「……部長、桜って、若葉も綺麗だし、紅葉もすっごく綺麗なんですよ」


突然何を言い出すのか、海堂は巴を改めて見詰めた。

その怪訝そうな表情を見て、巴がクスリと笑う


「…だから、花が散っても、ずっと一緒にいてください、ね? 来年も、また、一緒に桜を見ましょう? 今度は…」


自分の不安に気づいていたのか、そう問おうとしたが、溢れる感情に胸が詰まり、言葉が出ない。


「…ああ、来年は、お前の田舎の花見って、どうだ?」


「お父さん、きっとビックリしちゃいます。彼氏連れて帰ってきたって」


「…馬鹿言ってんじゃ、ねえよ」


「『彼氏』じゃ、ないんですか?」


少し悲しそうに言う巴に、


「…その前に、いろいろしなきゃならないことがあるだろ」


「全国2連覇、とかですか?」


「…他にもあるんじゃねぇのか?」


「…ええ? 何だろう?」


本気で分かっていないらしい巴に先は長そうだ、と胸の中で溜息をつき、

海堂は今までで一番深い口付けと共にこう告げた。


「……お前、覚悟しとけよ」








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