遠雷 (海朋)



皐月。

五月雨の中で、朋香は初めて海堂に声を掛けた。

一心不乱に素振りするその姿に心を奪われて。





水無月。

梅雨のはしり。学校の裏庭で朋香から告白。

あまりの驚きに海堂は傘を取り落とす。

自分にはテニス以外の時間がないと断った海堂だったが、朋香に今のままでいいからと言われ、交際開始。





文月。

名残梅雨を横に見ながら、ふたりで試験勉強。

海堂の心の中に、朋香の存在がやさしい雨のように沁み込んでくる気持ちが生まれ、

彼女に自分の 正直な気持ちを打ち明ける。


「好きだ」


その時の朋香の笑顔と涙を、海堂は一生忘れないと思った。

傘の影でひとつになるシルエット・・・・・。





そして、葉月。
海堂は相変わらずテニスの試合と練習に明け暮れ、

朋香も朋香で弟達の世話や家の事で結構忙しく、なかなかちゃんと合う時間が持てなかった。

学校がある時のほうが、却ってよかったぐらいである。

そうして夏休みも終わりに近いある日。

双子達は祖父のところへお泊りに行ってしまい、朋香の時間がぽっかりと2日空くことになった。

恋人に一応電話してみる。

練習熱心な彼ゆえ、デートの期待はあまり持てなかったが、でも少しでも会いたくて・・・。

低い声が「明後日の午後なら」と言うのを聞いて、朋香は右手を

ぐっと握りしめたのだった。






「うそーー!!」


久しぶりにデートもどきな時間をすごした二人の頭上に大粒の雨が落ちてきたのは、

喫茶店でお茶を過ごした後、朋香の家の近くの公園を歩いている時だった。

あっという間にあたりが暗くなり、雨が二人を濡らした。

向こうの四阿まではちょっと距離がある。

二人は、近くの葉陰の多い大きな欅の下に一時避難した。

多少は落ちてくるが、それでも大きな欅は雨を防いでくれる。


「雨降るなんて、きいてないよー」


朋香がバッグからハンカチを出して、濡れた髪や腕を拭く。

隣を見ると−−−−

海堂は濡れた前髪をかきあげて、雨水を振り落としている。


「タ・オ・ルは?」


朋香が聞くと、某スポーツショップのバッグから慌ててタオルを取り出す。

スポーツマンの彼が、タオルを持ってないわけが無い。


「おまえ、大丈夫か?」


低い声があっさりと聞く。

ぶっきらぼうともいうが、朋香はこの男の心の奥底にあるやさしさを知っているので、とてもうれしい。

彼女はツーテールを揺らして、恋人に笑みを向けた。


「大丈夫! でも雨降るなんて。今日は快晴だって言ってたのに・・・」


朋香がうらめしそうに、上を向く。

−−−−−と、

冷たい雫が、頬に落ちた。

海堂は自然な動作で、タオルをそっと彼女の頬にあてた。

突然のことに驚いた朋香は、わずかに身を下げる。


「あ。」


海堂はタオルを引っ込め、「わり」と他所を向いた。


「あ、あたし、こそっ」





急な雨のせいか、まわりに人影が無い。

雲も低くたれこめ、あたりはますます暗くなってゆく。

ふたりの間に曖昧な気持ちが揺れはじめる。


「冷た、」


全ての雨を遮ってはくれない欅の隙間から、また雫が朋香を濡らした。

海堂は無言でタオルを彼女の頭にかける。

何も言わない、そんな彼のやさしさが朋香は大好きだった。


「ふふ、うれし」


雨が降っている−−−−−−−−−−。

ふたりを世界から隔離するように。

朋香はこてんと海堂に寄り添うと、「あー、やっぱり」とひとり合点がいった言葉を吐いた。


「なんなんだ、小坂田」


「えへへ、タオルとおんなじ匂いがするなって。先輩の匂いだなって」


流石の海堂もこれには仰天して、顔が真っ赤になる。


「お、おさっ、」


それだけ言って詰まった。

沈黙のやさしい時間。

音といえば、雨落つざわめきだけ・・・・・。

海堂は不意に肩を抱くと、身を屈めて朋香に唇を落とした。

甘い、キス−−−−−−。

降りてきた時と同様、突然に離れる唇。


「あ」


名残惜しげな吐息が、彼女から漏れる。






「せんぱい・・・・・・」


背を海堂に預けていた朋香は、クルリとその身を翻して真正面から抱きつくと、小さな声で


「好き」


と頬を染めて告げた。

朋香の耳に、早鐘のような海堂の心臓の音が聞こえた。


「おさ か、」


頤に手を掛けられて、上向かせられる。

赤く染まった朋香の顔は、清廉な蠱惑に満ちていた。

薄く開かれた薄紅の唇に誘われるまま、海堂は堕ちるように口付けた。

先程のようなキス。

だけれど、海堂の飢えがその先を望む。

咬むような口付けに、朋香はぎょっとし逃れようとした。

しかしうなじを彼の左手で固定され、ままならない。


「んっ」


深くなるキス。

息をしようと開いた隙に、舌に入り込まれた。

歯茎に舌が当たる。

朋香の背中がぞくりとする。

逃げる舌。

追う舌。

洩れる吐息が、海堂の官能を煽る。

逃げ切れない朋香の舌は、情熱に負けて反応を返し始めた。

雨音とは違う水音が二人の耳朶に、響く。

女の子なら憧れる、好きな人とのキス。

朋香もそれに溺れていた。



 


けれど。

どんどん深くなるその底へ誘(いざな)われるのも怖い。

心臓の鼓動が異常な程早く、このままでは壊れてしまうような気がする。

海堂の唇が離れ、彼女は幽かにほっとした。


「せん、ぱ・・・・ん!」


朋香の口から、高い声が洩れた。

海堂の唇が頬から耳にすべり、甘く噛んだからだ。


「あ、・・・・はぁっ、」


かわいい恋人が上げる甘い悲鳴に、男の欲が加速する。

耳から首へ落ち、肩口を吸う。

やや襟ぐりの広い薄いグリーンのサマーニットからのぞく朋香の健康的な肌の上を、海堂の舌が這った。

朋香はもう、どうしていいかわからなかった。

もっともっと海堂先輩の傍にいたい。触れてもらって愛撫されたい。

でもでもこんな甘ったるい声を上げる自分が恥ずかしい。

そして「どんなこと」になるかわからないのが、−−−−−−怖い。

怖くて、・・・朋香は無意識に海堂のTシャツの脇を握った。


「、は。・・せ、ん・・」





その時、空が光った。

次いで、微かに響く低い音。





海堂ははっとして動きを止めると、朋香の体を強引に引き剥がした。

彼女の姿を見ないよう目を逸らす。

だが僅かに目の隅に映ったその姿は・・・・・

例えようも無く扇情的で、「先へ行け」という本能を押し止めるのが精一杯だった。






欲望に流されてしまった。

朋香を好きだと言う気持ちに偽りは無い。

この手に抱きしめたいというのも本当だ。

だが。

こんな風に、急激に欲が加速していくとは思いもしていなかった。

−−駄目だ。

離れないと、俺は、


「か・・・いどう、せんぱ・・い・・」


か細い朋香の声がする。。


「わ、悪かった。小坂田」


強い雨の音がふたりの間に落ちると、空がまた光った。。

そして、まだ遠い雷の響き。

彼女に視線を合わせられない。


「雨、止んだら、帰れ」


「え?」


「送ってやれなくて。−−−悪い、」


言うなり、海堂は身を翻した。

が、朋香が握ったままのTシャツに引かれ、瞬時踏鞴を踏まされる。


「小坂田! 俺は、」


「センパイ!」


朋香は俯いていた。

しかしその顔は赤い。


「小坂田?」


「今、ウチ・・・・誰もいない、の」


雨音に消されてしまうような、小さな小さな声だった。

だが海堂の耳には、まるで耳元で囁かれているように鮮明に届いた。

言葉は理解した。

だが『心』が理解するまでコンマ何秒を要した。


「お、・・前。何言ってるか、わかってんのか」


朋香は更に真っ赤になって、うなずいた。

海堂のTシャツはまだ握ったままだ。

また向こうの空が光った。

遅れて響く低音。

雨自体は、さっきより勢いがなくなったようだ。


「駄目だ」


海堂は目を逸らして、拒否した。







朋香は海堂の名を呼んで、顔を上げた。

−−くそ、何てツラしやがるっ!

潤んだ瞳と羞恥に染まる頬、そして薄く開いた唇が、海堂を誘う。

無意識に息が上がる。

気力を振り絞って、再度拒否した。


「っだから、小坂田、」


「先輩のバカ−−−−−−−−−−!!!!!」


そう叫ぶと、朋香は雨の中へ飛び出した。


「小坂田っ!」


はずかしいはずかしいはずかしいはずかしい・・・・・・・・

−−あんなこと言うんじゃなかったっ、

朋香は雨の中、走りながら泣いていた。

先輩に触られて、ドキドキする気持ちが怖かった。

でもそれ以上に、うれしくてぞくぞくする気持ちが欲しかった。

だから、だからっ、

空がまた光った。

驚いて反射的に静止する。

その時追ってくる海堂に気付いた。

−−嫌。

こんなあたし見られたくない!

朋香は首を振ると、逃げるように走った。

俄雨は峠を越えたようだが、まだ傘無しでは無理だ。

服はますます濡れて重くなってゆく。

そして。

<SEIGAKU>という銘の入ったジャージを着ることを許された

男に追いつかれてしまった。






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