逢魔が時 海堂×巴



穏やかな春の夕暮れ時。

今日の部活は終了し、残って自主練習していた者たちも皆帰って部室の中にはもう誰もいない、はずだった。

しかし。

無人のはずの部室に、嬌声が篭もる。



「…あ、あ…、海堂部長…」


ほんの少し前まで、風のようにコートの中を駆け回っていた少女。

光の中にあってこそ、相応しい少女。

だれもが、その笑顔に励まされている。

そんな存在。

それが今は、逢魔が時の薄闇の中、目に涙を浮かべ、淫らに声をあげている。

そうさせているのは……彼女を愛し、彼女から愛されているただ一人の男。


「…は、はあっ…、か、海堂ぶちょ…や…あっ…せんぱ…い…や…」


「…何が『や』だ…。ちょっと弄っただけでこんなになりやがって…」


部室の奥のロッカーに手をつかせ、後ろから玩ぶ。

くちゅ。

彼女の声に、淫猥な水音が混じる。

自分の指が少女の泉をかき回す音だ。


「せんぱ…や…ここ…部室…誰、か…来…」


切ない吐息の下、切れ切れに訴えてくる彼女の理性。

そんなもの捨ててしまえと言葉で言う代わりに、少女の中を弄っている指をもう1本増やす。


「…! あ、あ、あ…」


少女の身体が綺麗な弓形に反り返る。

中指で小さな突起を嬲り、人指し指は緩やかに抜き差しを繰り返し、また、掻き乱す。

親指は、花弁を柔らかく弄う。

少し節の立った長い指が繊細に蠢き、少女の熱をさらに高めていく。






「や、や、やぁあ……あ…」


少女の泉から溢れた、滑やかな液体が太ももまで濡らしていく。


(……舐めたい)


衝動のまま、海堂は少女の足の間に体を滑り込ませ、そこに口付けた。


「あ!」


跳ね上がる身体にかまわず、わざと音を立てて蜜を啜り、舌で肉色の真珠を愛撫する。

もちろん、指でそこを攻めることも止めない。


「………………」


あがっていた歌声が、ぷつり、と止んだ。

それに気づいた海堂は、身体を彼女の脚の間から抜き、立ち上がって少女の顔を自分の方へと向けた。

そこにあったのは、目を硬く瞑り、下唇を血が滲むほど噛み締めている、受難者の顔。


(……こいつは……!)


彼女はまだ、自分に全てを見せてはいない。

その認識は、彼の怒りをかき立てるのに充分だった。


(……許せねぇ……)


怒りと愛おしさ、そして形容し難い嵐のような感情に支配されたまま、無理矢理唇を重ねた。

舌で歯茎を擽る。

食いしばっている歯が緩んだところをすかさず舌でこじ開け、そのまま口内を弄る。

彼女の舌を捉え、思うさま吸いたてる。

少女の、閉じられたままの瞼から涙がこぼれた。

しかしその涙も、海堂の中にある炎をより激しくする役目しか果たさなかった。






数刻前、まだ陽光が支配するテニスコートで、海堂は少女と対峙していた。

彼女は1年の男子部員と、海堂は1年の女子部員と組んでのミクスドの練習試合。

海堂が組んだ1年生はそれなりに経験はあるものの、男に対して妙な色目を使ってくる、

彼の一番苦手なタイプの『女』で、海堂にとってこの女子部員と組むのは苦行に近かった。

一方、少女が組んだのは、

俊敏な動きと人懐っこい言動で、この3月に卒業して言った先輩の1人を髣髴とさせる少年。

彼女との呼吸もあっており、この対戦の結果は火を見るより明らかだった。…海堂のペアは少女のペアに惨敗した。


「少し走ってくる。お前は球拾いだ。一からやり直せ。…いやなら、テニス部を辞めろ」


負けたにもかかわらず更にべたべたとまとわり付いてくる女子部員を一刀両断し、海堂は校舎の周りを走り出した。

学び舎の周囲を一周し、テニス部の部室脇にある水飲み場の近くに差し掛かった。

テニス部員が数人集まっている。

――少女もまた、その中にいた。

どんなに離れていても一目でわかる、大切な存在。

……一体、自分のいないところで誰と、何を話しているのか。

胸の奥に、小さな痛みが走った。


「……サボってんじゃねぇ……」


その痛みを自覚しないまま海堂は低く呟き、走るスピードを上げて彼らに近づいていった。





少女は現在、1年生の相談役のような立場になっている。

昨年入部したときは、全くの初心者だったのにも拘らず、全国大会のメンバーとして優勝に貢献し、

全日本Jr選抜でも活躍した彼女は、1年生にとっては『憧れの存在』なのだ。

また、その実績を鼻にかけることのない少女の気性も相まって、

部活動の間、彼女の周りには1年生の姿が絶えない。

少女もまた、1年生を見てえるとかつての自分を思い出すのか、彼らによくアドバイスをしたり、

彼らのために練習メニューを組んでやったりしている。


「わたし、1年のとき先輩たちにいっぱい迷惑かけちゃったから、今年はわたしが1年の面倒を見ることで

 少しでも『恩返し』って言うのかな、できればいいなと思って」


そう言って笑った彼女の顔は、海堂の胸の一番奥にしまってある。






水飲み場で彼女と笑顔で言葉を交わしているのは、先刻の対戦で彼女と組んだ1年生部員だった。

明るく、人好きのする少年。

部活動にも熱心で誰からも好感を持たれている。

海堂自身も、見所がある奴だと気に留めているほどだ。

少女もその1年とは特に気があうのか、よく一緒に練習している。

……まるで、去年の自分と少女のようだ。

しかし、去年、自分たちが一緒に練習していたときは、あんなふうに笑いあったりしたことはなかった。

もっと、お互いギリギリの状態で汗を流し合っていた。

そんなことを思いながら、海堂は部員たちが集っている脇を走り過ぎた。

――その時、耳に少年の声が飛び込んできた。


「先輩、日曜日はありがとうございました! つき合わせちゃって。……すごく楽しかったです。」


「どういたしまして。わたしも楽しかったよ。探してたものも見つかったし。」


思わず立ち止まり、振り返って二人を凝視する。




毎週日曜日は少女と一緒に練習し、その後、ふたりきりの時間を過ごす。

海堂のささやかな歓びの時間だ。

抱き合ったことも、1度や2度ではない。

他人に自分の世界に入り込まれることを嫌う海堂と、妙なところで恥ずかしがり屋の彼女が、

はっきりと『付き合っている』状態にあることを知る者は意外なほど少ない。

部内では、副部長の桃城、少女の下宿先の家族の一員である越前、

それに彼女と一番仲がいい小鷹の3人だけだ。

別に隠しているわけではない。

ただ、どうにも気恥ずかしさが先に立つのと、部長が部員と付き合っていると言うことをおおっぴらに言うこと自体、

他の部員たちに対して示しがつかないのではないか、と海堂も少女も本気で思っているためだ。

しかし、テニスに打ち込む少女の姿は、生命力に溢れてあまりに眩しく、

思わずその場で抱きしめそうになってしまうことすらある。

そんな海堂にとって、日曜日、誰の目も気にせずに「恋人同士」として過ごすひと時は、

何にも換え難い、珠玉のような時間だった。

少女も、そう思ってくれていると信じていた。

……それなのに。






「ごめんなさい。次の日曜は一緒にいられない」


先週の金曜、昼食を共に摂ってえるときに少女から言われた言葉。

友達と大切な約束があって、と申し訳なさそうに言う彼女に、

その時は、他のヤツとの付き合いも大切だからな、と微笑んで少女の髪に触れた海堂だった。

てっきり、クラスの女友達と約束でもしたんだろうと思ったのだ。

それが。

他の、男と。

もし、それを知ってえたら、行かせなかった。

約束が反故にできないのなら、少女がその男と過ごした後に、どんなことをしても会う時間を作った。

夜のロードワークの途中でもいい。

ほんの5分でいいから、二人きりでいる時間を作った。

それすら、できなかった。

少女が、言わなかったのだ。

自分が日曜日に約束しているのが、同じ部の男子部員だと言うことを。

何故。

俺が疎ましくなったのか。

俺から逃れようとしているのか。

先刻から胸にあった痛みが大きくなる。

頭の中を、どす黒い感情が満たしていく。




二人に声をかけることも、その場を去ることもできない。

海堂が、ただ、少女と1年生部員から目を逸らせずにいると、 不意に、肩に手を置かれた。

桃城だった。

二人のことを知る、数少ない人間の一人。

にやり、と笑って、話しかけてくる。






「おい、マムシ。そんな顔で睨んでるんじゃねえよ。余計逃げられちまうぞ」


「煩せぇ」


「…でも、こうして見るとけっこうお似合いだぜ、あいつとあの1年坊主。おっかねぇ蛇部長とよりは、な」


「……何が言いてぇんだ、貴様……」


「……別に。ただ、あんまり縛り付けるとかえって逃げちまうぜ、ああいうタイプはよ」


「……てめえには関係ねえ……」


「へっ、…まあいいさ。とっとと走って来いよ。次はストローク練習だかんな!」


そう言い置いて立ち去る桃城を一瞥し、再び走り出そうとする海堂の耳に、

また、少女と1年生の会話が聞こえてきた。


「……先輩。今度の日曜日おヒマですか? 先輩が見たいって言っていた映画のチケットがあるんですけど……」


予期せぬ言葉に、振り向く。

そこにあったのは少し困ったように微笑む少女の顔。

……海堂と目があった。


「ゴメン、今度の日曜はダメなんだ」


「……そうですか。じゃあ、次の日曜は?」


「うーん、日曜は厳しいんだよね。いろいろやることがあって、さ」


「じゃあ、この間は、僕、無理させちゃったんですね。……すみません。

 ……あの、先輩の都合がいいときに、また、お誘いしてもいいですか?」


「わたしよりも、同じ1年の女の子誘って行きなよ。さ、練習練習! 部長がこっち見てるよ!」


はぐらかさないでくださいよぉ、と訴える男子部員の声を耳の片隅でとらえながら、海堂は再び走り出した。


(……あのヤロウ……)


誰に対するものか分からない、怒りにも似た感情を抱いたまま。

焦燥感。

渇望感。

独占したいと願う気持ち。

誰にも渡さないと心に潜めた決意。

それらがドロドロと混ざり合った、形容しがたい想いを抱えたまま、ただひたすらに、走り続けた。






校舎の周りを更に数周走り、海堂の脚はやっと止まった。

――少女は、小鷹とストローク練習中だった。

彼女が練習を終えてコートから出てくるのを見計らい、囁く。


「……今日、誰もいなくなったら、男子の部室に来い」


少女が自分を見上げ、笑顔を見せる。

――大好きな、彼女の、笑顔。

その、前に立つ男が何を考えているのか、まったく疑いを持っていない表情を見た途端、チリ、と、胸が疼いた。


「聞きたいことがある。……必ず来い」


笑顔のまま頷く少女の前から足早に立ち去る。

なに話してたのー? と彼女をからかう小鷹の声が聞こえてきた。


(……きっと、こいつにも怒られるな……。俺が今、何考えてるのか知られたら……)


だが、もう止まらない。

この衝動は、自分でも止める術が、ない。




練習が終わり、部員たちもあらかた帰宅した部室の中で、海堂は部誌をつけ、練習メニューを組んでいた。

これも、歴とした部長の仕事である。

海堂は誰はばかることなく、部室に残っていた。


「お疲れさまでした! …あの、部長…」


日曜日、少女と一緒の時間を過ごした1年生が、怯えた、しかし意を決した目で立っていた。


「……あの、先輩をあまり怒らないでください。あれは、僕が引き止めたから……」


彼女を庇っているのだ。

一人前に。この1年坊主は。


「別に怒ってるわけじゃねぇ」


突き放すように言い放つ。


「……でも、『後で部室に来い』って言ってたって……!」


「お前らの練習メニューのことで、聞きたいことがあるだけだ。……さっさと帰れ」


「……そうだったんですか、良かった……。じ、じゃあ、お先に失礼します!」


1年生が部室を去り、残っているのは海堂と桃城の二人だけになった。


「…ホントに練習メニューのことだけか? あいつに聞きたいのは」


「煩せえ」


「……まあいいけどな。じゃ、俺も帰るぜ。鍵、よろしくな。……あ、あとよ、

 相思相愛ってヤツだから何してもいいとは思うけどよ、海堂……あいつ、壊すなよ」


そう言い残し、桃城は部室を後にした。

残るのは海堂ただ一人。

夕陽が差し込む部室の中、愛しい女を待ち続けた。







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