赤也×巴
まったく、この人はっ。
ヤケクソに毛布を手にもった巴は、目の前で眠りこけているパートナーの様子に辟易した。
「半裸で…寝ないで下さいよ、切原さん…」
普段からは想像もつかないようなあどけない寝顔は巴の心を震わせたが、
格好が格好なだけに素直には喜べない。
どうにも切原は巴を女子として認識していない面が多々あって、
それは巴にとって嬉しいような悲しいような複雑な気持ちにさせたが、
自分に心を許してくれている、という方向へ無理矢理に落ち着けさせていた。
「けど、そんなになるほど力入れてくれたんだよね」
先ほどまで、巴は切原にコーチをしてもらっていた。
切原から見て気になった巴の癖や弱点を徹底的に直して、実践によってその成果を見る、というものだ。
巴はもちろん楽ではないが、教えながら加減をして相手になることの方がさらに楽ではないことは明らかだった。
「ちっとだけ付き会わねえ?」
ケータイにそんなメールがきて、はいと返事を送ったら待ち合わせ場所は近所のテニスコートだった。
切原の自宅からはかなり遠いはずなのに一体どうしたのだろうと思っていたら
「近くまで来る用事があったからよ」
とのことだった。
それならということで、切原の持ち合わせていたラケットで打ち合うことになった。
最初は軽くラリー程度だったのが、互いに段々熱くなってきて
気が付けば何故か切原のテニス講座が始まっていた。
巴が熱心なものだから切原も意地になってしまったというのがいきさつ。
しかし、終わってみればとても充実した時間になっていた。
帰途につく頃には、かなり遅い時間になってしまっていた。
切原の乗るバスの時間は、運の悪いことにあと1時間ほど待たなければならない。
そこで巴は、家に来ないか、と提案した。
自分の家ではないものの、赤也ならリョーマも手合わせしたいとかなんとか言って許してくれそうだと思ったからだ。
菜々子と南次郎が拒否することは考えにくい。
今考えると、それは安易な提案だった。
切原は巴がリョーマと同居していることを知っていたから何も考えずにその言葉に話にのった。
けれど家についてみて、巴は愕然とした。
家の中は、もぬけのからだった。
そこで巴ははっと思い出した。
そういえば、家を出る前にリョーマくんがなんか言ってたっけ…。
『あ、鍵持ってってよね。今日俺と親父、出かけるから。菜々子さんも用事あるらしいし』
珍しいことでは無かったので、なんの気なしに鍵を持って出た。
そのときは、何故切原がこんなに近くに来たのかで頭がいっぱいだった様にも思う。
「誰もいねーの?」
切原の何気ない言葉に、巴は急に自分が取り返しのつかないことをしたことに気づいた。
切原を信用していないわけではなく、誰もいない家に誘った自分に自己嫌悪したのだ。
出来れば話をして時間をやり過ごすだけにしたかったが、
自分の為にいらないほど汗を流した切原に風呂を勧めないわけにはいかなかった。
お前が先に入れば、と無邪気な笑顔で返された巴だったが、
切原が無事バスに乗り込むまでは何が何でも風呂に入らないと巴は決意していた。
客を後回しには出来ない、といった風なことを言って断った。
着替えは持ってきていたらしく、タオルの準備だけをして部屋をうろうろ歩き回りながら切原が出てくるのを待った。
湯気をたたせて切原が背後から忍び寄るように声をかけたときには不自然なほど飛び上がって驚いた。
そんなこんなで、自分の部屋に案内して、飲み物を用意しようと
台所に立った頃には、先ほどの打ち合いの何十倍もの疲れがどっと押し寄せていた。
しかし、招いたのは自分であるし、切原に感謝の気持ちを表わしたいこともあって、
気力を振り絞って自室に向かった。
そうして扉を開くと、冒頭に至るわけである。
切原さん、どう思ってるだろう。
二人きりということを知ってから、巴の考え事はそれだけに終始していた。
誰もいねーの、と聞かれた時は、あ、そういえば、と事情を話したものの、
明らかにわざとらしかったと自分でも分かっていた。
本当のことだというのに、それを説明すればするほど嘘っぽくなる気がして、細かな説明はせずに流したが、
切原がどう解釈したのか気になって仕方なかった。
はしたない、と思われたろうか。
それとも計算高いとか思ったかな。
だがベッドに両肘を乗せて、その上に頭を乗せて眠っている桐原を見るにつけ、
巴は一人相撲なだけのように感じて、はあっと溜め息をついた。
「この状況で眠れるなんて切原さんらしい、か」
しばらくは寝顔を眺めていた巴だったが、あまりの寝入りっぷりに、次第に自分まで眠りを誘われ、
ついには切原の足元にくてん、と倒れこんでしまった。
巴の疲れは、精神的なものとあいまって、その時点でピークに達していたのだ。
「そりゃねえだろ」
足元に丸まった巴を見て思わず声に出していた。
切原は、ここに至るまでの展開に、神に感謝してもいいとすら思っていた。
リョーマも住んでいるという自宅に呼ばれたときには、どれほど牽制してやるか画策したが、
ついてみればまるでお約束のようにとんとん拍子で事が進んでいった。
切原には、説明を受けずとも巴がまったくの偶然で誰もいない家に誘ったことは分かっていた。
相手が超がつくほど鈍いことを身をもって知っているからだ。
大体、こんな遠いとこにそうそう用事なんてあるわけねえだろ。
それを彼女に言うつもりはなかったが、いい加減察して欲しいとも思う。
「寝るか?この期に及んで一緒に寝るか?」
大分疲れていたことは分かっていたが、それでも異性を前にして眠れる神経を疑ってしまう。
自分のことは棚にあげて。
どうやって仕掛けようと考えて狸寝入りしていたのが、仇になった。
いくらなんでも、眠っている人間にどうこうしようなどという気は切原にはない。
まどろんでいる程度ならまだいいが、足元の少女は完璧に熟睡ぶっかましている。
「あーっくそ。千載一遇のチャンスを棒に振っちまった」
うめくが、一度眠ってしまった巴を起こすことも、切原には出来なかった。
「ったくよ。…もうちょっと意識してもバチは当たんねーぞ」
どう
にも、イマイチ男として見られていないのが切原には歯がゆかった。
仕方なしにじっと寝顔を見入ることにする。
巴の寝顔は、汗で濡れた髪が頬に纏わりついて、妙に艶かしかった。
ヤバイ、と本能で感じた。
その時である。
「ん…。き…りはら…さん」
「えっ?」
巴の漏らした声に起きたかと思って焦った切原は、反射的に身を引いた。
しかし、いくら待っても巴は身じろぎすらしない。
「寝言…か?」
そう判断すると、自分の夢を見る巴に嬉しくなり、余裕が出てきた。
「なんだよ、ホントはしっかり気にしてんじゃねえか」
自惚れに近い気もしたが、やり場のないやるせなさのはけ口にするには丁度よかった。
改めて寝顔を見つめなおす。
何故か憂いを帯びているように思われた。
胸をぎゅっと掴まれたような気がした。
「赤月…?」
そっと、顔を近づけた。
「切原さん…あ…」
どんな夢を見ているのか、切なげな声、憂いを帯びた寝顔。
切原は、自分が興奮してきていることをはっきりと自覚した。
「反則だろ…それ」
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