千石×巴
しばらくして千石の家に着いた巴は、早速、彼の部屋に通された。
家の主は、飲み物を取ってくると言って消えたあと、グラスを手に戻ってきた。
「おまたせー。飲み物は冷たい物で良かったかな?」
「あ、ありがとうございます」
そう言いながら、千石からグラスを受け取ると、そっと口に含んだ。
グラスの中身は巴も良く飲むスポーツドリンクだった。
ほんのり甘い液体が喉を潤していく。
「どう?少しは落ち着いた?」
巴が一息つくのを待って、千石が訊ねてきた。
「はい。迷惑をかけちゃって、ごめんなさい」
申し訳なさそうに巴が答えると、千石は笑いながら、頭を撫でてくれた。
「気にしなくても良いんだよ。誰だって体調の悪い時はあるし…もっと早く気付いてやれなくてメンゴな」
「いえ、千石さんは悪くないですよ!それに、体調が悪い訳ではないし…」
「じゃ、何かあったのかな?」
瞬間、巴の顔が赤くなった。
「いえ、本当に何でもないんですよ」
まさか、夢に出てきた本人に真実を言う気にはなれない。すかさず巴は話題を変えた。
「そういえば、千石さんの家って静かですね。家族の人は出かけているんですかぁ?」
問いかけると、千石はいつもの笑顔で答えてくれた。
「うん。今日はみんな親戚の家に行っちゃって、戻ってくるのは夜になるみたいだからねー。
だから今二人きりって事になるね」
ふ た り き り ふ た り き り ふ た り き り
五文字の言葉が、巴の頭の中でリフレインする。
「そうなんですかぁ」
明るく答えつつも、心臓が高鳴る音が聞こえた。
止まる…のはマズイから、せめて少し落ち着いて欲しい。
(落ち着け〜落ち着け〜)
心の中で念仏のように唱えておく。
「さて。それじゃあ…」
そう言うと、千石が巴の太股の辺りに手を伸ばした。
「きゃぁぁぁぁぁぁ!!」
――瞬間、巴の足が千石の顎を蹴り上げた。
「な・何をするんですか、千石さん!?」
真っ赤になりながら巴が質問すると、
涙を浮かべた千石は蹴られた顎を押さえながら、巴の座っている辺りを指差した。
「…DVDのリモコンを取ろうとしたんだけど…」
「…は?」
巴がおそるおそる目線を下げる。
「…あ」
そこには、言われた物が確かに鎮座していた。
「…ごめんなさい。その…顎、蹴っちゃって…」
おろおろしながら、巴が謝ると、千石は大丈夫だと手を振ってみせた。
「…いや、こっちこそビックリさせてメンゴ」
そう言いつつ、困ったような笑顔を見せる。
「…ごめんなさい」
咄嗟の行動とはいえ、千石を傷つけてしまった。
蹴られた顎はとても痛そうだった。
(何やってるんだろう…)
今日は最悪だ。
千石に心配をかけたばかりか、傷つけてしまった。
恥ずかしい。
意識している、自分が。
変な想像をしてしまう、自分が。
「…巴?」
千石が目を丸くしている。
「え…」
その瞬間、ポタリと落ちた暖かい雫が、スカートに染みを作った。
「あ…え…えっと…」
どうにかして誤魔化そうとするが、涙は次から次へと零れてくる。
(どうしたのかな。こんなのは、いつもの私じゃないよ…)
恥ずかしい気持ちと、情けない気持ちで胸が一杯になってきた。
ちゅっ
その時、小さい音と共に、暖かい感触が巴の瞼にふれた。
見上げてみると、千石が、巴の大好きな微笑みを浮かべていた。
そして、そっと巴の頭を撫でてくれる。
「今日の巴、本当にどうしたのかな?」
「……」
「もしかして、オレ、何か酷いことしちゃった?」
「…ちが……って」
「ん?」
なおも千石は頭を撫で続けている。
少し気持ちが落ち着いてきた。
「…あの」
おそるおそる巴は、千石に話しかけてみる。
昨夜の夢と、今の千石の顔が、頭の中でぐるぐる回り続ける。
でも、巴は決心することにした。
「…今から話すこと、笑わないで聞いて下さいね?」
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